――装飾古墳とKASINAってずいぶんぶっとんだテーマですね。
武田崇元(以下武田) KASINAって内視幻覚を誘発させる装置なんで、体験してもらわんと説明に苦労するんだな。それでたまたまあることがきっかけで装飾古墳に興味をもって少し調べてみたらこれが出てきた。ます日ノ岡古墳の石室の奥壁の壁画、そしてこれ装飾古墳の代表といわれる福岡県の王塚古墳の石室のレプリカなんだが、これを見て「えっ」と思った。
――というと。
武田 いやね、これってKASINAでどんなものが見えるかという説明にぴったりなんだよな。
――あの、そもそも装飾古墳って何ですか?普通の古墳とは違う?
武田 簡単に言うと古墳の内部が彩色や浮き彫り、線刻とかで装飾されている古墳だな。現在、全国で装飾古墳は横穴墓をふくめ約600基が確認されている。
――けっこう多いんですね。
武田 と思うだろう。しかし日本の古墳の総数ってどれくらいだと思う?
――古墳時代は3世紀半ばから7世紀半ばの約400年を指すとされてますから、相当な数なんでしょうね。でもまあ1万くらいじゃないですか。
武田 いや、それが確認されているものだけでも約16万基あるんだな。
――なんと。
武田 だから装飾古墳というのはなかなかレアで特殊な存在なんだ。しかもその分布が九州と関東の一部に偏っている。だから結構謎が多いんだけど、その中でもいったいそこに描かれたものは何かという問題がある。
――それは古墳ごとに違うのでは?
武田 いや大前提として装飾古墳の文様には見たら分かるが、明らかに共通した特徴があるんだな。まず円文あるいは同心円文。んで、これはKASINAのほとんどのセッションで中心に出現する。
――え、こういう装飾古墳の壁画のようなものが見えるということですか?
武田 そうね。まったく同じというわけではないけれども、個人的な偏差はあっても、おおむねこのような光景が出現する。KASINAのほとんどのセッションで中心に出現する。
――そうなんですか。
武田 うん、普通にセッションをプログラムすれば必ず中心に同心円が出現し、それが渦巻きになっていったり、トンネルのようになっていく。中心なので普通は1個なんだが、セッションによってはそれが自然に複数になったりもする。
――不思議ですね。
武田 それから装飾古墳の中でも有名な王塚古墳、こいつの復元レプリカを見てわかった。これずばり言うとKASINAで見える世界とほとんど同じなんだ。
――なんと!
武田 ここの天井には小さな円が散りばめられているが、これもKASINAのセッションで見える。さらにこの三角形が連なるギザギザというかノコギリ紋な。これはたとえば日本版のKASINAに付録としてつけた特別セッションのベートーベンの運命の1分15秒あたり、それからメガブレインから移植したDrug Vision、Dream Coaster あたりに出現する。
――それは意図的にデザインされたわけですか?
武田 いや、メガブレインのプログラムなんて1991年のことだから装飾古墳と結びつくとは思いもしなかった。ベートーベンの運命に至っては意図的なデザインではない。ほとんど自然に生成したものなんだ。
――というと?
武田 KASINAにはカラーオルガン機能というのがあって音源そのものに反応させることが出来るんだ。運命のジャジャジャジャーンをこれに反応させれば面白いと思ったんだが、そのままじゃ無理なんだな。反応しすぎて視野が真っ赤に塗りつぶされてしまい、ボリュームの小さなところは反応せずに真っ暗になってしまう。それでMuLABというDAWソフト、簡単にいうと差曲ソフトがあって、これ日本ではほとんど知られてないんだが、これにあるアプリをかませて作った。これで微調整してさらに左右のRGBの点滅タイミングをずらすと面白い効果が得られる。それで基本的な定数はこちらで細かく指定するわけだが、何が見えるかまでは制御できない。偶然にそうなったわけだ。
――なるほど。
武田 それで話を戻すけど、KASINAでも見れるこの装飾古墳に描かれた文様は何かってこと。
――それは太陽を図案化していっぱい並べたんじゃないでしょうか?
武田 あのね、最近はそういう素朴な説は影を潜めているんだよね。例えば福岡県うきは市にある日ノ岡古墳の玄室奥壁に描かれた壁画。もうサイケデリックという言葉しか思う浮かばない。で、さっきも言ったけどこの同心円はKASINAでしょっちゅう見てるわけ。
――えーと…つまりここに描かれたものは幻覚ということでしょうか?
武田 そうだと思う、こういう幻覚を見ることが出来る集団があったんだと思う。
――うーん。なんというか偶然な気もするんですが。
武田 いや実はこれ、わしがこじつけで突飛なことを言ってるんじゃなくて、先史時代のロックアートのスタイル、特にその形象の類似性が、幻覚に由来するのではという説が最近有力なんだ。例えば南アフリカの考古学者でウィットウォータースランド大学の認知考古学の名誉教授であり、旧石器時代芸術研究家の第一人者、デヴィッド・ルイス・ウィリアムズや、モンタナ州立大学の細胞生物学と神経科学部のジョン・P・ミラー教授などが提唱している。
――ロックアートというとアイルランドの巨石芸術とかも?
武田 うん。そういう先史時代のロックアートは時間と場所を隔てて、交流もないはずなのに、各地で類似性があるんだ。
――それはどういう類似性なんですか?
武田 同心円や渦巻きといったモチーフが典型で、やっぱり装飾古墳とも似てる。
――それが幻覚に由来するというのは一体どうして?
武田 人間の脳のメカニズムの研究が進んできて、幻覚の仕組みが大分わかってきてからだな。まず自然に幻覚を見る方法としては、フリッカー(光の明滅)というものがある。正にカシーナの原理なんだけど、瞑目状態の目にフリッカーの刺激を与えると、視野内に幻覚が生成する内視現象は古くから経験的に知られていたんだ。
――目を閉じてじっとしていると、なんか色つきの模様が、うっすら浮かんでくることもありますね。
武田 あれは目をぎゅっとつむったり、瞼の上を手で押さえたりして、眼球を圧迫することで生じる現象だからちょっと違うな。カシーナを試すのが一番手っ取り早いんだけど、目を閉じてフリッカーの刺激を与えたら色々な模様が浮かんでくるんだ。この現象をはじめて実験的に記録したのはチェコの生理学者ヤン・エヴァンゲリスタ・プルキニエで、自分の目とガス灯の前においた掌を振ることでフリッカーを生じさせ、視野内に生成される図像や紋様を詳細に観察し、そのスケッチを残したんだ。1819年のことだな。
――丁度、二百年前なんですね。
武田 うん、しかも彼のこの研究は、1940年代に脳神経学のグレイ・ウォルターが再発見するまで殆ど忘れられてたんだ。彼もまたフリッカーの刺激で、脳の電気活動に劇的な変化が生ずることを実験で確認した。で彼の被験者達は目を閉じた視野に脈動する縞模様や輝く寄木細工、旋回する螺旋、渦巻などの幾何学的幻像が現れることを訴えた。
――幻覚が光による刺激と脳に関係していることがハッキリ観測されたんですね。
武田 うん。正にカシーナに繋がる発見だな。で、ここからが面白いんだがフリッカーによって誘発される幾何学的図像の内視は、メスカリンやLSDなどの幻覚性ドラッグによる幻覚と共通するんだ。
――ドラックで人工的に作った幻覚も、いわばフリッカーと目をつぶっただけで「自然」に見られる幻覚と同じヴィジョンになると。
武田 そう、ちなみにメスカリンは、サイケデリックなアートで有名な北メキシコのウイチョール族などネイティブ・アメリカンの儀式で使用されてきたペヨーテに含まれる幻覚誘因物。ただ違いはあって、こういうドラックで作った幻覚は目を開けてても見れるんだ。
――たしかにドラックでトリップしている人って、別に目をつぶっているイメージはありませんね。
武田 実際、1926年にドイツ系アメリカ人の精神科医ハインリッヒ・クリューバー(1897~1979)がメスカリンで観察実験をしていて、彼はメスカリンによる幻覚は被験者が眼を閉じていても開けていても同じように体験されること、そして眼を閉じた場合はその閉じた内的視野に、眼を開けた場合は空白の壁を見るとそこにさまざまな模様が見えることを記録したんだ。クリューバーは更にその模様をフォームコンスタントと命名して、格子、クモの巣、トンネル、スパイラルの4つのタイプに分類したんだ。フォーム・コンスタントはさらに多様で高度に飽和した色彩、極度の明るさとシンメトリカルな形状で特徴づけられる。
――幻覚のパターンを分類した訳ですね、
武田 そう。それで重要なのは、実はこれが本質的には外部の光源からは独立した現象ではないのかってこと。
――えっ、光源から独立って、じゃあ幻覚とフリッカーの関係はどうなるんですか?
武田 うん。1970年代になるとロナルド・K・シーゲル(1943-2019)等により幻覚の研究が学際的に進められ、フォーム・コンスタントはフリッカー、幻覚剤、瞑想、感覚遮断、臨死体験に共通することが決定的に確認されるようになった。繰り返しになるが幻覚が幻覚剤や感覚遮断でも誘発されるという事実は、それが外部の光源に依らないということだ。そこで神経科学者のポール・ブレスロフとユタ大学の同僚は、ドラッグやフリッカーなどの何らかの撹乱が脳の視覚野を不安定化し、それが皮質活動の自然発生的なパターンを誘発するというErmentroutとCowanの仮説に基き、幾何学的視覚幻覚に関する数学的モデルを提唱し、それが視覚皮質の固有の構造を反映していることを立証したんだ。
――つまり脳の撹乱が幻覚の原因で、フリッカーはその一つのトリガーなんですね。
武田 ああ。ワシらが外界のオブジェクトを正常に「見る」ことが出来るのは、様々な周波数、強度、方向性をもった光の伝達する情報が網膜細胞を適切なセットで刺激することで成立している。ところがフォーム・コンスタントを見る時、ワシらは外界のオブジェクトを見ているわけではなく、一次視覚野自体の幾何学的構造の画像を見ているのだとブレスロフは言うんやな。
――ええっ。一次視覚野ってそれ、自分の脳をみてるって事ですか?
武田 そう。アナロジカルに言うと、こういう幾何学的内視現象は、ビデオカメラをテレビモニターに接続し、そのモニター自体を撮影する時に生成される無限ループ動画と相似的なんだ。この場合、カメラはいわばそれ自体を「見」ている。実際に生成される画像もフォーム・コンスタントに酷似しているのも面白い。
――なんかすごい話ですね。
武田 で、幻覚の原因の「脳の撹乱」なんだけど、ワシらはフリッカー刺激、感覚遮断、幻覚剤の摂取などある一定の不規則な条件下に置かれると、ものを見る場合に生起する視覚野の通常の活動パターンが不安定化し、視覚野の平衡を失う。だから一次視覚野は、一時的な安定均衡を求めて、神経発火の新しいパターンを構成する必要に迫られる。で、こういう観点からBressloffはフォーム・コンスタントが、視覚皮質が新たな平衡状態を構成するパターンであることを、数学的に正確にシュミレートすることに成功したんだ。
――視覚に関わるバグに脳が対応するための、応急的な神経の活動パターンの構築を反映したのが、幾何学的文様の幻覚、つまりフォーム・コンスタントということですね。
武田 ちょっとややこしい話やけどな。だから先史時代のロックアートの類似性も、こういう人間の脳の仕組みに由来した幻覚をモチーフにしていて、それを反映しているからじゃないのかという訳だ。時代は下るが装飾古墳もそう。芸術はこういう風にして始まったんじゃないのかな。
――しかしロックアートはそうかも知れませんが、ラスコーの洞窟壁画とか、もっと具体的なモチーフやデザイン、それにそれぞれの地域で違う先史時代の芸術もありますよね?
武田 うん、それにもキチンと理由があって、カシーナをやっていると最初はこのフォーム・コンスタントを見るんだけど、すぐに変わってくんやな。それも人によって色々なイメージに変化する。
――ドラックもフォーム・コンスタントばかりを見るとは聞きませんよね。天使だとかユニコーンだとか、そういう具体的なイメージを見るとか。
武田 そう。さっきも出てきた脳神経学のグレイ・ウォルター、彼は幻覚を見ている被験者達を観察して「さらに、われわれはこれらのフリッカーによる幻覚についてもうひとつの不可解な特性があることに気がついた。それは幻覚が被験者の精神状態によって変形されるということであった」と言っている。
――メンタルが影響すると。これもドラック体験では「あるある」らしいですね。
武田 他にも彼は脳神経学者として、しばしば視覚野の反応が脳の他の領域へと溢れ出すことを指摘しているんだ。つまり被験者の幻覚体験がヴィヴィドで奇怪であればあるほど、誘発反応が視覚野から他の領域へとあふれ出すことがトポスコープによって観察されたという。
――幻覚は視覚だけでなく脳全体に影響するんですね。
武田 あと重要なのはいったん幾何学的幻覚が誘発されると、それはその状態で完結する訳ではないという観察結果だな。旋転する螺旋はよくあらわれるが、それはしばしば身体が旋回する感覚を伴う。揺れたり、跳躍する感覚を報告する被験者もあった。さらに夢の中で見るような一つ以上の情景を含む一連の具象的なシーンから構成されるまとまった幻覚も報告された。他にもロナルド・K・シーゲルが幻覚として最初にあらわれるのはつねに幾何学的な図形で、個人差はあるがどの被験者も同じタイプの図形が見えると報告している。複雑な風景が現れるのはそういう幾何学的な図形のあとだと。
――フォーム・コンスタントは、みんな体験するが、それはどちらかといえばトリップの「入り口」で、そこで留まる感じではないということですね。
武田 うん。繰り返しになるが、フォーム・コンスタントは脳の神経構造にダイレクトに由来しているから、被験者の年齢や文化背景にかかわらず普遍的に誘発される。その見え方の強弱や形状は被験者自身の体調や気分によって左右されるが、それは誰もが共通に体験する基本パターンなんだ。まぁこういう話も、カシーナをやれば実感できると思う。
――ではその先の、各人によって違う幻覚を見る理由は何なのでしょうか?
武田 ウォルターはこう分析した。幻覚であれ、何かを見るということはつねに見たものについての何らかの感情や思考を誘発する。それは情景や具象的なイメージを連想させるかもしれないし、象徴を介してある特定の一連の思考へと誘導するかもしれない。あるいはただその美しさに満足し、そのままの状態にしておくかもしれない。いずれにせよ、それらの結果はひとつとして、イメージが視覚領域に投影されただけでは得られない。だからイメージは脳の他の領域に伝達され、そこで感覚的知覚によって認知され(気づき)、認識され、想起され、記憶にある感覚的印象やそれに関連するあらゆる思考、感情、観念と連結するのだと。
――という事はつまりフォーム・コンスタントは、各人の経験や信仰、所属する文化によって、観察され、解釈され、思考された結果、千差万別の幻覚に変容していくという。
武田 そういう事だな。だから先史時代のモチーフ、デザイン、芸術の類似性も、その違いも、フォーム・コンスタントから説明できる。フリッカー以外にも、ネイティブ・アメリカンのように、幻覚性の食物を食べたのかも知れないし、瞑想したのかも知れない。彼らはそうして見たフォーム・コンスタントであり、それが様々に変容した様を、ロックアートに表したんだ。ある意味、そういう変容を体験出来るまでに、種々の文化や観念が発達していたという事だし、だからこそ、自分が経験した幻覚を表現しようとしたんだろうな。
――だから芸術は幻覚、フォーム・コンスタント体験から始まったという訳ですね。
武田 そう。芸術は幻覚から始まったし、今も全てに通底する基層なんだ。マルクス主義でいうところの、いわば「下部構造」のようなニュアンスだな。だから実は先史時代の芸術は、実はモダンアートのスタイルとも非常に近い。一種の先祖返りのような印象さえある。
――そういえば、ピカソもラスコーの洞窟壁画を見て驚愕したと聞いたことがあります。
武田 ショーヴェの洞窟壁画もそうで、フランツ・マークやシャガールの作品とそっくりなんだよな。アルタミラの洞窟壁画なんて、1879年に発見された時は、あまりに印象派のスタイルと似ているもんだから、しばらくねつ造扱いされていた。
――面白い話ですね。
武田 もうちょっとだけ話を膨らませると、いわばプリミティヴな神話やシャーマニズムに共通するさまざまなイメージや要素も、芸術と同じで、フォーム・コンスタントと、そこからの変容が決定的なファクターだと言われている。
――出口王仁三郎の「芸術は宗教の母」という言葉を思い出しました。具体的にはどういう?
武田 たとえば異界と現界を繋ぐ渦巻きや穴、トンネルのイメージだな。これもフォーム・コンスタントから種々の幻覚に変化していく過程でよく見えてくるもので、それを反映して、大地のなかを降りていくようにして、地下の領域を旅することを、世界中の多くの民族が信じている。臨死体験もよくトンネルをくぐり抜ける経験として表現される。
――なるほど。日本神話でも黄泉比良坂から死者の国へ「降って」行きますね。
武田 そういう事や。だから装飾古墳からラスコーの洞窟壁画、さらにはモダンアートのシャガールに至るまで芸術の奥秘を知るのにトリップ体験は不可欠ということ。さらには宗教の始原を辿り、人類の奥底に眠る見えざる世界を見ることができるし、その体験は類から個へと跳躍する。ユングのアーキタイプの話なんかとも繋がるな。普通はこういうトリップをしようと思ったら身体的リスクや、法的リスクを犯して、ドラッグに頼るしかないんだけど、カシーナではそれをノーリスクで、しかも拡張性の高い方法で実現できる。是非、皆に体験して欲しい。
――ありがとうございました。