玄意は思わぬ処に現れる。例えば出口王仁三郎と大本の足跡は、その全道程において、不思議としか言いようのない現象に溢れているが、なかでも私たちに馴染み深い「あいうえお」の五十音図には、大本と霊界をつなぐ暗合が隠されている。
図1を見ていただきたい。これはたんに五十音図のアからノまでをならべたものにすぎない。だが、王仁三郎によれば、各行・各列は世界の五大陸と五つの霊的要素をあらわすものであり,いわば世界の縮図なのだという。
そして、王仁三郎は、この図の秘密を大正六年に発表した「いろは歌」のなかで「ノアの言霊ナと返り、ナオの言霊ノと返る。ノアとナオの真ん中に澄みきるスの御霊、すめら御国のすがたなり」と明かしたのであった。この図の始めと終わりを結ぶと「ノア」という文字があらわれる。詳しい説明は専門的になるのではぶくが、言霊学における「霊返しの法則」によると、ノアは「ナオ」に返る。実際、この図で「ノア」と交わる対角線には「ナオ」という言葉があらわれる。
ノアは、『旧約聖書』によれば、神が人類の堕落に怒り、大洪水を起こしたときに、神示によって方舟をつくり難を逃れ、新生人類の祖となったとされる神話的人物である。ナオは、いうまでもなく出口ナオ。そして、ナオとノアが交わるところ、つまりこの図の中心には「ス」がある。「大声は声なく、大象は形なし」という老子の言葉があるが、『霊界物語』によれば、超時空連続である霊界には言霊が浩々と響きわたっている。そして奥義編「天祥地瑞」の巻によれば、その根源は「ス」の言霊である。「ス」はスメラミコトの「ス」であり、天地いっさいを制御する主神をあらわす。
この図1は「ナオとノアの方舟」として、大正六年以来、大本の霊的権威を証明するものとして一部の大本信徒のあいだに語りつがれてきたが、これだけのことならあるいは偶然やこじつけといって無視することはできるかもしれない。だが、この図にあらわれる神秘的符合はこれだけにとどまらない。王仁三郎の孫で作家の出口和明氏は、王仁三郎が昇天して三十年後の昭和五十三年、この図にはもっと驚くべき暗号が秘められているのを発見する。(図2)
まずア行のイとエの言霊は中央のスと合体し、「イエス」となる。さらにイエスの三声を結ぶ二等辺三角形の中をつらぬくのは「スクウ」の三声。方舟の左へイエスと対称をなす二等辺三角形をつくると、「ス」を抱き込んでいるのはテクチである。しかも、「ス」の左右の言霊を合わせると、「出口つくす」となる。
しかも、ナオの言霊をアに返し「ス」を中心に結ぶと「アナオ」になる。主神を要に世界五大州にまたがる大二等辺三角形である。王仁三郎の生まれ故郷であり、かの霊界探検が行なわれた霊山、高熊山の地、「穴太」だ。なんでもない五十音図の切れ端に、これだけの暗号が秘められているのは、ただごとではない。しかも、よく見ると、「スサノオ」という言葉が、この図のまっただ中に、こつぜんと浮かびあがる。(図3)
宇宙の根源たるス神は、天に駆け登ってサと鳴り、地に降ってノからオへ、5大州の端から端へと鳴り響く。いうまでもなく「スサノオ」は王仁三郎の神格である。
「スサノオ」を「ス」を要として結ぶと、大地にふんばって立つ巨大な「人」という文字があらわれる。さらに、そのまわりをノアとナオの方舟で囲むと「囚」という文字が浮きでる。(図4)
ここには、驚くべきことに、獄中のスサノオ=王仁三郎が屹立しているのだ。スサノオ神とはなにか。記紀神話の文脈では、スサノオは天皇家の祖神であるアマテラスに反抗し、岩戸籠もりの原因をなしたため、「千座置戸」を背負わされ、手足の爪をぬいて高天原から放逐された神である。だが、大本神話によれば、スサノオ神こそは宇宙主宰神であるス神の顕現であり、贖い主であり、救世主なのだという。過酷な追放神話は、スサノオがじつはみずからを生贄として、諸神の罪をかわりに償ったことを意味すると解釈されるのである。
このような主張が、たんに王仁三郎の主観的信念ではないことは、この図そのものが示している。国学院教授で神道学者の故西田長男氏は、「神道には救済や贖罪の概念がない」という通説に対して、大本神話とはまったく関係なしに、スサノオ神の本質が人々の罪を贖う救済神であることを論証して注目を集めた。
スサノオを名乗る王仁三郎は、まさにアマテラスの末裔とされる天皇を絶対神格化する国家によって反逆者として断罪され、囚われの人となった。それにしても、いつ誰が作ったともわからない五十音図のなかに、囚われの王仁三郎の姿が予言されているという事実に、誰しも素朴な感動と驚きを覚えずにはいられない。そこには、明確に宇宙的な神のプログラムの刻印を見ることができるといえるだろう。
より詳しく知りたければ「増補版 スサノオと出口王仁三郎」を参照して頂きたい。