シュメール人といえば紀元前4000年頃、チグリス・ユーフラテス川下流域に表れ、最古の文明を築いた人々だ。彼らはきわめて先進的な科学、技術、経済、文化を誇ったにもかかわらず、その起源は謎に包まれており、言語系統も一切不明。つまりとつじょ歴史に表れ、それまでの人類では考えられないような高度な文明を築いたということになる。現代に続く六十進法や七曜制を採用し、なんと白内障や脳の手術まで行っていたという。
しかし今でこそ有名な彼らの存在はつい150年ほど前、1877年に古代都市ラガシュの遺跡が発掘されるまで、ほとんど忘れ去られていた。そしてシュメール文明の調査が進むにつれ、なんと「ノアの方舟」など聖書のモチーフの多くが、シュメール文学が元になっていたという衝撃の事実が明らかになった。聖書はシュメール人の存在についてまったく触れていないにもかかわらずである。
今回、紹介する『聖書より見たる日本』は中田重治によって1929年(昭和4年)に、『天孫人種六千年史の研究』は三島敦雄によって1927年(昭和2年)に書かれた本で、前者は日本ユダヤ同祖論、後者は日本人シュメール起源説の大著である。
日本ユダヤ同祖論は今でも有名だが、戦前戦中に一世を風靡した日本人シュメール起源説は、戦後になってシュメール宇宙人起源説の影に追いやられ、ほとんど聴かなくなってしまった。
しかし日本ユダヤ同祖論は当然、ディアスポラまでのユダヤ人の歴史を記した聖書の分析に焦点があてられており、その聖書が他ならぬシュメール文学が元になっている事を踏まえると、日本ユダヤ同祖論と日本人シュメール起源説の面白い関係が見えてくる気がしないだろうか?
現に中田重治も『聖書より見たる日本』の中で、聖書のヘテ人=ヒッタイト人は「シュメール人と非常な関係があり、あるいはヘテ人はシュメール人の一部ではなかったろうかとさえいわれている」「このヘテ人が今より2500年前、古代イスラエル王国の滅亡とともにどうなったかわからなくなってしまった」「しかるに、オックスフォード大学の考古学の権威セイヌ博士の発表したところによれば、それは日本人である。その骨格、その顔つきは日本人にひどく似ていて、目尻が上がっており、髪はわが神武天皇時代の人を絵に見るように、弁髪を束ねていたとのことである。日本人の中にたしかにこのヘテ人の血が入っているとは、私ひとりの想像ではないと思う」「このヒト(人)という言葉は日本固有の純粋な日本語で、中国から転訛した言葉ではない。これはヘテ人のヘテから来た言葉ではあるまいか」「シュメール人は聖書のエラム、すなわち今のぺルシアの都スサに居住して発展したとのことであるが、日本の古代史にスサノオノミコトが兵を率いて東に上ったとあるが、あるいはこれは、その都のひとりの王ではなかったろうかとも想像できる」と述べている。
つまり中田重治は日本人の起源はユダヤ人であると主張しつつ、ヒッタイト人がシュメール人の一部であり、さらにそのシュメール人が日本人の起源であった可能性についても認めているのである。
このわずか2年後に三島敦雄の『天孫人種六千年史の研究』が発行され、古代日本にはクメール族やポリネシア族、朝鮮ツングース族などの多くの民族が存在したが、最終的にそれらの諸族を統べ、古代日本国家建設の中心を担ったのが、シュメール人だったと主張した。
私たちは自らのルーツを聖書以前の古代メソポタミアにまで遡る必要があるかもしれない。またシュメール人と日本人との共通点は確かに多く見られるが、それだけではシュメール人が日本人の起源である可能性を説明できても、彼らがそれまでの人類と断絶したレベルの先進的な文明を築いた謎を説明することはできない。
この点はやはり、近年、考古学的分析の進展によって、むしろますますその影響力を増していシュメール宇宙人起源説が鍵になるのではないだろうか。つまり日本人シュメール起源説とシュメール宇宙人起源説は相互に補い合い、ことによっては私たちのルーツを宇宙にまで遡らせてくれるかもしれないのだ。シュメール宇宙人起源説に興味がある方も、ぜひ『天孫人種六千年史の研究』で日本人シュメール起源説に触れて頂きたい。